なぜ中国は単純な反応を繰り返すのか?

※中国の前記事は7/5

 中国に対するアメリカの出方がますます厳しさを増してきた。全ての共産党員の入国禁止措置や、孔子学院、総領事館など国内の中国関連施設の閉鎖、中国からアメリカ企業を撤収させ、サプライチェーンを中国を除いた東南アジア方面で構成したり、ポンペオ国務長官は尖閣問題にも言及し出した。

 これらアメリカが繰り出す措置の1つ1つに対し、中国も主に趙立堅報道官を通じて対抗措置を発表している。一見すると強気な感じだが、ここまでアメリカが踏み込んでくるとは中国も予想しておらず、習近平の誤算だったとの見方も多い。すでに3月時点で中国は反省の意を示すべきと言う戴氏のような学者も出てきた。何せ中国に与する国すらない。

 ただ本ブログの中国=C機能で見直す方法によれば、今後も中国は自国への刺激に対しワンパターンな反応を反射的に繰り返すだけだと見ている。まるで生物の中では初歩的で下等なアメーバや虫のように。そこに大脳新皮質の思考野はない。普通の国々の政府なら着地点をどこにするか設定し、そこにうまくもっていくようソフトランディングを図るものだが、中国に着地点の発想はなく、単純な刺激―反応だけである。

 そんな中国に対し、アメリカだけでなくイギリスも最新鋭空母を近海に派遣してきた。もはや戦争となるハードランディングを用い、香港問題やウィグル問題、人権を尊重して民主的選挙を行う着地点を明確に示してきたのである。

 あえて中国にも着地点があるとすれば、全世界よ、新型コロナに勝利した中国を尊敬せよ、という中華思想になる。そんな思想に与する国は現代民主的政権には1つもない。要するに中国の場合、自国に問題解決能力はない。世界が賛成できない諸問題をワンパターンに進め、非難されてもワンパターンに反応するだけなので、おそらく世界は、中国に問題解決能力のある人や政党を立てるよう動くしかない。

 そのためにも、地政学的にインドのXと韓国のFに挟まれたCという自覚を持つ必要がある。

唯一神に支配されている中東のV

 中東地域は一神教の神が支配する宗教が特徴的である。昼は非常に暑く夜は非常に寒い気候、荒れた土地で雨が少なく、水の確保もままならない厳しい環境で、唯一の神を信じる。古くはユダヤ教のヤーウェ、後にはイスラム教のアッラーの神が崇められ、いろいろな宗派に分かれながらも今に至り、根強く信じられている。

 東隣のインドでは、「梵我一如」、つまり最高神たるブラフマン(梵天)と個我たるアートマンとの一致や、輪廻からの解脱、悟りの境地を理想とするが、こちらにはそんな理想はなく、支配神と自分とは決して一致しない。そこが機能Xのインドと機能Vの中東との違いの1つである。

 もう1つ、中東地域は悟りの境地よりも経典を最高位に置く。ユダヤ教では聖書、イスラム教ではコーランである。どちらの教祖にもなっている預言者モーセはシナイ山に登って有名な「十戒」を得て下山したが、これも最高位の経典と言える。

 本編(右上メニューボタンよりスタート)では、機能Vから生じるものとしてこの聖書やコーランもあり、記号ではMに当たる。また最高位の「印」に当たるものは記号Pで表し、ユダヤ教ではハリソン・フォード主演の映画レイダースでもお馴染み「契約の箱」(アーク)、現代では優勝者に金メダルを授与することもPの1つである。

 最高神による支配のもと、聖書やコーランが教える通り戒律を忠実に守って生きることで厳しい環境を乗り切る。人は悩んだ場合、考えたり尋ねたり閃いたりしながら解決しようとするが、全ては唯一神の何たるかを説く聖書やコーランに解答があるとするので、聖職者との交流や宗教儀式への参加などで解決した状態に一応なる。

 旧約聖書はユダヤ人を神に選ばれた特別な民と説き、コーランはイスラム教徒を、またユダヤ教から派生したキリスト教は新約聖書とともにキリスト教徒を選ばれていると説く。こうした選民思想は支配神から一番可愛がられていると教えるので心地いいし満足度も高い。真の問題解決には程遠くともこの満足感でお腹が満たされる人にとっては十分である。

 ヨーロッパにQ機能が発達してV機能が弱まったのは、おそらく10回も十字軍を派遣しながら聖地エルサレムを得られなかった事実に直面したり、カトリックの本部バチカンでの汚職、聖職者への失望、聖書への不満などを経て、実験科学や数学への信用の高まり、議会制民主主義や市場経済の一応の成功などからだろう。逆に中東地域は十字軍に勝ち、石油の産出による儲け、どうにもならない厳しい気候環境などから根強く宗教が残り、余計なQ機能の閃きやX機能の悟りの境地にもブレないでいる。

 ただ宗教に宗派争いは付き物。エルサレムをめぐっての各宗教の争い、原理主義の台頭、戒律を巡る解釈の違い、最近では新型コロナへの感染拡大から従来のような儀式の開催もままならない状況である。V機能だけではいけないことは頭では分かっていても、中東特有の長年の生き方が柔軟な対応を阻んでいる。

近代化を進めたヨーロッパのQ

ヨーロッパの機能は、伝統的な国々を近代化していったことに尽きる。始まりは17世紀のフランスに登場した「近代哲学の父」デカルトである。座標軸を考案して図形を数式で表したり、社会科の教科書で誰もが習った演繹法の使い手としても知られる。

一方、演繹法の横に並ぶ帰納法には、17世紀イギリスの哲学者、ジョン・ロックの名前が出てくる。経験哲学ともいい、理論が先立つ演繹法とは逆に、様々な角度から見た後に理論が出来ていく。こうした理性の働きから、横暴な王権を否定して理性による議会制民主主義で政治を行う名誉革命の理論的支柱ともなった。

演繹法、帰納法ともう1つ、弁証法についてはドイツの哲学者ヘーゲルの名前が出てくる。「正―反―合」で理性は完成していくと説く。ドイツといえば、笠信太郎著「ものの見方、考え方」という本にて、対象の奥にある本質を明らかにしようとする国民性であり、だからコッホが病気の正体でもある細菌を発見したり、アインシュタインがエネルギーの正体を追究した相対性理論を展開したのだと納得させられる。

逆にイギリス人にとっての本質とは、ドイツのヴェーゼンと違いエッセンス、つまり様々な角度から見た後で出来てくるものである。これは内陸部でロシアやフランスなど敵国と隣接するドイツとは対照的に、海の島国としてヨーロッパを多面的に見るところからも理解できる。

ところでデカルトの母国フランスについては、笠氏によれば合理的でなんでもスパッと分けると言うが、確かにデカルト以来、精神と物質という二元論は定着し、デカルトの呪縛とも言われる。またフランス革命の理論的支柱となったルソーは、若いときに未亡人と過ごした経験からか、若い男性は年上の女性と結婚し、老いたら若い女性と結婚した方がいいという極論を述べたが、確かに合理的かもしれないものの理性の行き着く先が決して万能的に良いものではないことも分かる。特に子供には困った話だ。

 以上、17世紀以降のヨーロッパ特有の機能を見てきたが、この機能を働かせることで、近代建築や実験科学、実証などができるようになり、伝統的な国々が近代化していった。この機能を図の通りQと呼ぶ。Qは順番でいくとLの次に当たり、Lが自我を切り替える特性を持つのに対し、Qは切り替えた後の閃き(インスピレーション)に当たる。閃いて仮説を立てて実験して検証し、専門分化した科学が進んいったりする。

 国際会議でもヨーロッパの国々は閃いて発言することが多く、反対にJ機能の日本は切り替えられずおとなしい。F機能の韓国は感情的なだけで、C機能の中国はレベルが低い発言しかしない。アメリカもよく喋るが、バランス感覚がある発言ではヨーロッパの方がL機能よりもQ機能を働かせるためか、一歩秀でている。

 しかし、近現代は環境汚染や貧富の格差など問題も多い。ヨーロッパ自体、移民問題や少子化など解決できない問題も多く、Q機能の限界を露呈している。

 

思考とともに切り替えるアメリカ(L)

   アメリカは今でこそ世界の中の重要な機能になっているが、白人入植以前はもちろん機能にはなっていなかった。近代化しつつあるヨーロッパの次という位置付けで建国し、やがてイギリスとの独立戦争やリンカーンの時の南北戦争、第一次と第二次世界大戦で途中から参加しての勝利を経て、機能「L」となっていった。

  本編の第3回ぐらいから明らかになっていくが、機能「L」には主我と客我を思考とともに切り替える働きがある。世界大戦に最初は孤立を選ぶモンロー主義から消極的だったはずが、よく考えてから途中参加するところが典型的だ。そもそもモンロー主義の方もよく考えてからヨーロッパのゴタゴタに巻き込まれない孤立を選ぶ、つまり積極から消極へと切り替えている。

  4年に1回行われる大統領選挙も世界の模範になるぐらいきちんと行われ、しかも最長8年までの任期も守っている。強引に憲法を変えて終身最高権力者にするどこかの国々とは大違いだ。さらに時々、共和党と民主党が入れ替わったり、共和党の大統領の時に民主党が議会で多数派になるなど、バランスよくこれも切り替えられている。

   こうした実際的な切り替えスイッチとしての役割がどういった経緯でできたのか?  上図でアメリカはちょうど真ん中に位置しているが、右端から中央への流れを見ていくと、インドや中東の濃い宗教に比べて、ヨーロッパ、特に近代以降のヨーロッパはルターが聖職者の妻帯を認めたり聖書を初めて印刷したりと宗教色が薄くなり、さらにガリレオやニュートンの実験科学、社会科学方面も実証性が重んじられてますます宗教色が薄まる。もはや神を崇める司祭が言ったことが全て正しいとは言えず、誰もが理性的に発言して議会で決められていく。そういった流れの延長線上で19世紀アメリカには、道具主義と呼ばれるパース達のプラグマティズムが登場する。これは「真理は道具として実用的に使われるものでなければならない」と説く。

  いかがだろう? こうなるともうアメリカはプラグマティックな観点から攻守や主客、与野党を容易に切り替えられるようになる。非合理なものをいつまでも信奉する部族とは違い、使える真実の側に頭も体も切り替える。こうしてオリンピックでは大量のメダリストを輩出したり、ノーベル賞受賞者の数も多く、ビル・ゲイツやジョブスなどの企業家、映画や音楽などの興業面も盛り上がり、アメリカンドリームという名で憧れられる。

  このように良い面だけを挙げれば切り替えの重要性に目を奪われるが、一方でアメリカといえば深刻な銃社会で乱発事件の犠牲者は決して少なくなく、また国民皆保険がないために医療費がバカ高いとか、他にも人種問題も根強く残っていたりする。相対立する意見が拮抗する場合、双方ともに攻守の入れ替わりが頻発してどちらか一方に落ち着くことが難しくなると思われる。経済と環境の問題も同様で、時々アメリカは国際的な舞台から離脱を表明したりする。それを非難するヨーロッパの機能が次の「Q」である。

 

~道、~流が多い日本のJ

 日本人は真面目、勤勉、といった評価はよく聞くが、本サイトはこの国民性がどのようにできたかを見る。複数の人々が集まると自然に機能が分かれていくように、昨今ますます地球が小さくなっていく国際化の中で日本もある機能に絞られていっている。それがJである。

 まず、上図の左端にあるXから、その機能が働くことによってどんな状態、状況が生み出されているか振り返ってみよう。インドのXの場合、「悟りの境地」「涅槃」「梵我一如」のような極段階であり、中国のCの場合、「性善説」や「性悪説」のように人間とは元々何かというものを問いかけるので確かにCっぽい。それから朝鮮のFは感情的な状態や状況を何かと引き起こそうとする。

 では日本のJはどんな状態や状況を生み出しているのか? 茶道や柔道、剣道、華道のように道を求め、~流といくつもの流派ができる。何をやるにしても、最も良い方法に全てが統一されるのではなく、そこ流派独特の形を固めて免状を出そうとする。時には無意味で非合理なものもある。

たとえ無意味で非合理なものであっても、先生が言うから正しい、文句を言うな、という場合も多い。そんな所だからこそ、西洋の思弁的な議論や哲学などは屁理屈として避けられる。学校では理系や体育会系に仕事はあっても、文系にはないと言われる。更に文系の中でも経済学や経営学はまだ許されても、人文系の哲学思想は特に忌み嫌われる。

だからこそ日本はますます「J」に絞られ、悪い社風や校風が問題になるブラックな職場やムラ八分、イジメ等が蔓延してもなかなか解決できない。一度このブログのように周囲に巻き込まれず高く離れた所から達観してみることも良いが、なかなか出来る人は少ない。しかし、今までの螺旋状の日本史を振り返ると、悪化を食い止めて良い方に展開させる人物は誰もがJではない。

感情優先(=F)の韓国、朝鮮

  韓国は近年ますます、多くの日本人がその感情優先ぶりを知るところとなった。国民情緒法とも揶揄されるように、その時の気分や感情で約束事がひっくり返されたり、正邪が逆になったりする。歴代大統領は皆、退任後に逮捕される。

  見栄や虚栄心が過ぎるところ、極度に負けず嫌い、特に日本には感情を剥き出しにする。「火病」というこの国のみの病気があるし、「恨(ハン)」という感情も根強くある。かといって陸続きの中国に対しては極度におとなしくなるし、アメリカにも弱腰になる。恐ろしいという感情に負けてしまうのだろう。

  これらの感情優先ぶりは、半島人特有の先天的なものなのか、上図で考えると地理的な事情に因るということになる。すなわち、西の端にバラモンを頂点とする高度な大系の発祥の地インド(X)があり、続いて広大な中国(C)が位置した次には、段階でいうと見た後に思ったり、動いた後に思ったりするFの機能が強くなる。

  一方で東隣には文化や文明で世界的にも評価が高い日本が位置しており、大和時代はともかく長い間この半島は文化的にも文明的にも遅れをとっていた。遅れとは要はFで生じた感情をどうにもできないということである。

  例えば、身近に優秀な人がいて、学校や職場であれば、そうではない大勢の中に埋没できるものの、兄弟や姉妹、父母などが優秀だとどうしても感情は生じるし、処理できなくなったりもする。嫉妬、羨望、悔しさ等。

  そんな時は自分の得意分野を伸ばして優越感を持つか、客観的な見方を養って大人になるかする方法があるし、やがて結婚してそれぞれ家を持って実家から離れるとどうでもよくなったりする。

  しかし、隣国同士という事情の場合は離れられないし、あまり日本人が羨む要素を特に持たなければ、あとは一線を越えた嫌がらせに踏み出すしかない。慰安婦像を量産したり、徴用工の判決で現金化するぞと脅したり、不買運動を行ったり、とにかく日本が不愉快なことは何でもする。

  そういう韓国に対して、同じ半島内の北朝鮮はどちらかというと中国のCに近い気もするが、サッカーでも感情剥き出しのラフプレーをするところは韓国と似たり寄ったりである。

中国=C(コナトゥス)

   中国の悪名高い国家安全法が施行され、香港の中国化は避けられないものになった。イギリスが香港を返還した時に50年間は別制度(一国二制度)にするよう約束を求めたのは、その間に中国に民主主義が根付いて変わっているだろうと考えたためだ。

しかし、この予測は大きくはずれた。西側諸国からの支援で経済面では豊かになったものの、その経済力をバックに尊大になり、南沙諸島や尖閣諸島、インド国境地帯などに軍を進め、アメリカやオーストラリアとも険悪になった。

なぜ中国には民主主義が根付かないのか? 上図で「C」という文字をつけたのはチャイナからではなく、そもそもこの位置がXの極たるインドと感情的な朝鮮との間に挟まれた、基礎的生命力がポイントとなるからだ。これを本サイト(5素サイクル)では「C」で表す。哲学的にはコナトゥスといい、心理学的にはリビドーという。リビドーはフロイトの性に絞ったものではなく、ユングの広い意味でのものを採る。

中国=Cだからこそ、大勢の虫のような大群を成し、新型コロナの時にも動員しやすかった。そこは良い面かもしれないが、一方で欧米のようなLやQではないからこそ、客観的見方や理論、民主主義などが根付かず、香港=Qとも相容れない。今後、香港が以前のような金融センターでなくなったら、中国はただの世界の下請け工場の地帯に過ぎなくなる。

以上の要旨を踏まえた上で、中国がただのCではなくなる方向へ進めば良くなるかもしれないが、非常に難しいと思う。

インドがX(=極)にある訳

中央公論社「世界の名著」シリーズは、カントやプラトンなど西洋の哲学者の本を並べており、何故1工場作業員の父が若い頃に全冊買ったのかよく分からなかったが、成長した自分は高校の頃、受験勉強よりもこれを全て読む方を目指すようになった。

ところが1巻目は、西洋ではなくインドの「バラモン教典」。この構成もよく分からないながら、取り合えず最後まで読んだ。しかし2巻目以降は読みたい本のみを読むようにし、ルソーやショーペンハウアーなどは読みやすかった。逆に読みにくい本も当然多く、それらは巻頭の哲学者紹介や研究者同士の対談を全て読むようにした。

この経験が後々、「哲学思想コーパス事典」を経て本サイトにある哲学史の全貌解明につながってゆく。それはさておき、今回はインドの機能、図の「X」の箇所について書く。

「バラモン教典」といえば”梵我一如”。世界の本質たる神の梵天(ブラフマン)と、自己の本質たるアートマンとの一致を目指すことを説く。おそらく世界の名著シリーズもこのことを踏まえて1巻目に据えたのだろう。

また、世界で初めて数字のゼロを発見したのもインド。このことからも、7つの機能のうちの極たるXにふさわしい。

そしてインドといえば、人口が中国に次いで多いながらもきちんと選挙を行い、民主主義が出来ていることでも知られる。何故か? もう1つ、近年コンピューターの業界でインドの躍進が著しいが、これも日本とは違い、失敗を全く恐れず、失敗を含みながらも前へ進んで新しいものを生み出していく国柄が関係している。逆に日本は失敗を恐れ過ぎる余りなかなか大胆な新しいことができない。

インドの3大神といえば、破壊と創造の神であるシヴァ、維持の神であるヴィシュヌ、そして最高神であるブラフマン。私はこれを順番に並べて考えてみた。すると、破壊から創造、そして創造的に生み出したものを大事に維持して極へと至る流れに、インドの民主的選挙やコンピューター業界での革新につながっていく。

もちろんXならではの欠点もある。代表的なものが悪名高いカースト制である。高い位にあるバラモン以下の絶対的な秩序を守ろうとするあまり、下位の人々の不幸に思いが至らない。比較的新しい産業であるコンピューター業界には下位の才能ある人が流れており、そこで破壊と創造を行い、VからXへと至っていく。

世界にも7つの機能がある?

人間が集まるといつの間にか役割が分かれていく。仕切る人、仕切られる人、考えて提案する人、見ているだけの人・・・など。本来、人間に備わっている脳や目や口などの器官を多く使う人や一部のみを使う人というように分かれる。

それは、国際化が進んでますます地球が狭くなっていくこの世界にも言える。では世界はどのように機能が分担していくのか? 特に難しい話ではないのだが、詳しく書くと長くなるので少しずつ書いていきたい。