循環型社会の特区になり損ねた湾岸

鈴木俊一東京都知事は絶頂期にあった際、東京湾岸に「世界都市博覧会」を開催しようとしたものの、都民の猛反対にあって頓挫した。反対した筆頭は青島幸男元参院議員。芸能人でもあり知名度に勝る彼は選挙活動もろくに行わず都知事に当選し、都市博中止を決定した。

 

1990年代前半、青島都知事は突如「循環型社会」を提言した。その背景に何があったか、もしかしたら、都市博を中止した跡地に何をするべきか悩んでいた青島氏に循環型社会の実験を行う提案があったかもしれない。その後、東京都は循環型社会を推進し、青島氏は知事退任後に「循環」と題する絵を出品した。

 

博覧会のアイデアはその後、堺屋太一氏の目論見で愛知県で行われ、「愛・地球博」が開催された。それは成功と言えるのか? 6ヶ月間のうち5ヶ月は閑古鳥が鳴き、最後の1ヶ月だけ盛り上がったのはそんなものらしいが、堺屋氏の発想自体、「大量生産、大量消費」の遺物であり、大量のゴミが発生し、現代では誰も回顧しない。前時代的(古い)と言える。

 

東京湾岸の方は、賭け事に使用する議員連盟が一時期盛り上がった。その署名者の中には自民党も多いが敵対する野党や小沢一郎の名前もあった。正体はそんなものだ。

 

やがてこの跡地を東京オリンピックに利用する案が持ち上がった。そのためには築地が邪魔になるため、市場を豊洲に移そうとした。それを反対して当選した人が小池都知事である。

 

循環型社会の方はいまや当たり前になったのか顧みられず、実験場としての「特区」のアイデアは竹中平蔵氏が推進して全国に進めてみたものの、これも安倍総理と特定の業者との癒着が指摘され、マイナスイメージがつきまとうようになった。

 

 

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4者交換の歴史

昔、海辺に住む者は魚介類を獲り、山に住む者は狩猟や農耕で暮らしていた。やがて、ご飯のおかずに魚を食べたくなった先祖は、米と魚を交換するようになった。これが2者交換の起源とすれば、直接交換ではなく業者が関わる段階が次だと思う。すなわち、貨幣が登場して魚を大量に買う一方で、米を大量に買う業者も現れ、露店にて売るようになる。

江戸時代に入り、大阪に世界初の米相場が登場する。大量の米は卸売業者が買って各店に売り、各店が米屋となる。その仕組みが他の製品にも及び、さらに工業品までもフォードシステムで大量に造られるようになると、いわゆる「大量生産、大量消費」という言葉に見られるような近代化が起きた。

これを合理的、合理化と呼んで良いのかは、次に起きた環境汚染問題で答は明白だろう。深刻な環境汚染はゴミの大量投棄への強い反省を促し、トヨタカンバンシステムのように在庫を抱えない方法に変わっていった。そして、リサイクルが定着して資源を有効に活用する風潮が強まった。実は江戸時代も、人糞による肥料の活用、木製家屋をはじめ循環型経済だったという指摘もある。

ところで、循環というのは単に資源の話ではない。例えば料理の味についても、美味しい味を一子相伝で継承するのではなく、広域に伝播、改良、発展させていく場合は螺旋状に進化していっている。その時期といえば、前世紀末のグルメ漫画「美味しんぼ」の爆発的ブームからだろう。ここから人々の関心が変わり、「料理の鉄人」や「ラーメンブーム」も広がった。比較して発展途上国をはじめ多くの国はまだここまで螺旋状の進化はない。

本サイトでは全部で9つの循環を紹介しているが、実はまだ自分でもよく分からないことが多い。資源のリサイクルは最初からリサイクル可能な素材で全て造っていれば良いし、ノウハウの循環もメディアやネットがこんなに広がっているのに広がりが少ない。事故防止の観点から多数のルールも螺旋状につくられているが、いつの間にかルールを守ることが先行してルール破りが糾弾されている。

未開から文明への途上の先に螺旋状のシステムがあることを踏まえ、4者交換法を設けると良いと思う。

主我と客我の違い

ツインサイバーシステムの中心概念といっていい自我だが、状態を考える上でそれは対象に対する主体であり、構え方によって主我と客我の2つに分けられる。

主我と客我という言葉は社会学者のミードが使用したことで知られるが、ここでは更に、ものを見るときには主観的自我と客観的自我に、動く時には消極的自我と積極的自我に分かれることを端的に主我と客我で表す。

しかし、それでも現代人には受け入れがたいようで、構造主義のレヴィ・ストロースが実存主義のサルトルに論争で勝ったとされて以降、ますます構造が全てで自我などとんでもない、チョムスキーの言語学は自我があるから駄目だ等と見なされるようになった。

そうだろうか? 対象に対する主体自体は否定しようもない事実で、哲学者のフィヒテも自我と彼我とを初めとする。

そして、彼我、つまり対象には様相的側面と物体的側面2つがある。物体には摩擦抵抗がある。この摩擦抵抗の大きさが外乱値であり、目的値を妨害して実現値が低下する。実現値を目的値通りにするため、もろもろの技術や方法があり、人間が物体をコントロールする場合、技術や方法の関与で系全体は安定し、技術や方法が関与していなければ系全体は不安定になる。

ただし、「火事場の馬鹿力」のように、各所のリミッター、ブレーキがない、つまり摩擦抵抗が少ない状態の場合、方法や技術は関与しない。これを主我とし、その前が客我なのだ。坂道の登り坂と下り坂と言ってもいい。

一方、我々がものを見る過程においては逆で、景色や風景を眺める時は摩擦抵抗なく見る主我であり、客我になるとその様相的対象は認識上困難な相手になる。それでも対峙し続け、考え、推理し、洞察しようとする。

命令を出す前に多くの段階がある

21世紀型軍隊の代表として、アメリカ陸軍の「ストライカー旅団戦闘チーム」(SBCT:Stryker Brigade Combat Team)の話を木元寛明著「戦術の本質」が紹介している。

 

兵員4200人、車両1000両、全車両がデジタル機器を搭載し、ネットワークでつながっている。

 

その状況判断プロセスは、任務の受領から作戦計画・命令の作成に至るまで7ステップあるという。

ステップ1:師団司令部から旅団長に作戦計画が与えられる。

ステップ2:任務を分析して必成目標と望成目標とを分け、任務達成の上限と下限を明らかにする。

ステップ3:行動方針の案出。達成可能な任務、費用対効果、企図との適合など複数列挙。

ステップ4:行動方針の分析。各解決策を具体的にシミュレーションする。

ステップ5:各行動方針を比較して最良のものを1つに絞る。

ステップ6:幕僚が提出した案を旅団長が承認する。

ステップ7:幕僚は決定した行動方針を簡潔明確な命令に変換する。

 

以上を実施時間までの3分の1の時間で実施し、残る3分の2の時間が大隊以下の時間になる。

 

こうして見ると、北朝鮮が特にそうだが、トップの思いつきに全員が従う例は確かにおかしい。日本の企業においても、たくさんルールを作るのは良いが、ルール同士の軋轢や旧ルールとの調整、時間的浪費、費用対効果などたくさん問題がある。

 

命令を出すからには、その命令を出すことによる結果の分析を幕僚クラスが行い、分析結果を旅団長に提出し、承認して初めて全体のまとまりが生まれ、幕僚が具体的命令を出す。それを時間限定で行う。

 

本サイトとの関連性で考えれば、具体的指示命令を出す前のフィードバックということになるが、多くの場合はトップからの叱責を恐れたり感情が邪魔をしてあまり検討もされず命令が出され、結果、現実と合わず失敗していた。この方法だと、最新の機器とデータ、ネットワークを使い、トップも賢明な指示を出すべくフィードバックに参加する。

 

 

 

共通言語としての哲学

世界情勢が日に日に厳しくなってきた。北朝鮮のミサイル実験、中国の尖閣諸島接近、イスラム国によるテロ、韓国の慰安婦像、アメリカも第一主義を掲げている。

戦争と平和とは交互にやってくると言われるが、平和な期間とは戦争の勝者によって全てが塗り替えられた後のことであり、戦争の期間とはそれがグラついてからのことである。

戦争の勝者たる国は、帝国を称したりもするが、宗教的に塗り替える場合が多い。キリスト教に染めたり、儒教に染めたり、イスラム教に染めたりする。

しかし、宗教は染めやすい反面、元がしっかりしていないためすぐに色あせてくる。そもそも、地域や民族ごとにその地に合った創生神話やルールがつくられた延長上に宗教があるので、恒久的に合わせられることはまずない。

それを分かってきたからか、現代社会では「思想信条の自由」や「内心の自由」、そして「宗教の自由」が認められている国が多い。ただし実際には、進まない、進められない国が上記のように騒動を起こしている。

騒動に適切な手が打てなければ、核戦争もあり得る時代。ここは宗教ではない、もっと別の何かを使って鎮静化をはからなければならない。

その鍵こそが哲学だと思う。哲学は宗教とは違い創生神話を持たない。人間の「見る」「動く」「考える」等の状態を普遍的に極めていくため、国家間の争いにも効果があると思われる。

「哲学が活発だった近代以降もヨーロッパでは戦争があったではないか」という反論もあろう。それは哲学がアンバランスだったからだ。

本サイトの通り、ギリシャ哲学から18世紀の近代認識論哲学までは知覚面に偏って行動面の考察が不十分だった。そのためナポレオン戦争が特にそうだが知的で科学的な戦争が進んでいった。次に19世紀のヘーゲル哲学までになると、第1次大戦のように戦線を延ばし塹壕に篭って膠着した。

やがて20世紀の実存主義が登場すると、ヒトラーやロンメルのように邁進する第2次大戦へと移るが、サルトルに至ると戦争は収まった。以後、本サイト的には哲学史は完結してバランスを保ち、先進国では戦争がなくなった。

新しい哲学というよりも、既存の哲学史のこのような見直しを普及してこそ、平和がもたらされると考える。

哲学と戦争

かつて、産業革命や名誉革命、エリザベス女王1世の聡明さ等から「7つの海を支配した国」と呼ばれたイギリスも、第二次世界大戦では弱さが目立ち始め、大戦後は植民地だったアジア・アフリカ諸国が独立してヨーロッパの1国に収まっている。EU離脱後の行方も気になるところだ。

イギリスの強さは哲学の強さでもあった。ジョン・ロックやディヴィッド・ヒュームの哲学は伝統的なキリスト教哲学との決別を決定的にした。簡単に言うと、「キリストがこう言ったからこうである」とする教条主義に対し、「人々の頭の中の観念連合」に着目し、教条主義の観念連合よりも「議会で話し合う(観念連合を練る)民主主義政治の方が王政(観念連合を練らない)よりも良い」、「競争して(観念連合を練って)サービスを向上させる市場経済の方が良い」、「実験して仮説を検証する(観念連合を確かにする)科学の方が良い」ことを打ち立てた。以後、世界は近代化に進み、イギリスはその先頭を走った。

「ものの見方について」という本の著者・笠信太郎氏によると、そもそもイギリスは「霧のロンドン」と言われるように雨が多く、曇り空の下で彩り豊かなガーデニングに勤しみ、霧の中で対象が何なのか知覚しようとした。そのため、イギリス人は物を多面的に見ようと努めた。

一方のドイツ人は、雨こそ多くないものの、「ドイツの森」と言われるように深い森林地帯があり、森の奥の本質を重要視した。そこからコッホのように病気の原因である細菌を突き止めてきた。イギリス哲学は対象を多面的に見て単純観念をつくり、そこから複合観念へつなげる流れに対し、ドイツ哲学は対象をまっすぐ直視して裏側にある真実を見極めようとし、カントの「物自体」やヘーゲルの「ガイスト」などが出てきた。

フランスは「割り切る」と書かれてあり、いちおう私なりに解説すると、17世紀に「近代哲学の父」と呼ばれ出てきたデカルトの「精神と物質」の二元論、フランス革命の思想的柱になったルソーの「若い男は年上の女性と結婚してやがて離婚し、老いると若い女性と結婚してやがて離婚すればよい」という合理性?がいかにもフランス的である。

フランスはイギリスに比べるとあまり考えずさっぱりと感覚的と言え、さらにイタリアはもっと感性的と言える。ゆえにフランスもイタリアもファッション系の有名ブランドが多い。

戦争になると、このあまり考えないところが災いし、フランスもイタリアもよく考えるイギリスに敗れる。ワーテルローの会戦で連合軍を率いるウェリントンがフランスのナポレオンに挑んだ理由はプロシア(ドイツ)が合流するだろうからであり、ナポレオンが連合軍に応じた理由もプロシアが参戦しないと見込んだからである。そこで早朝から決戦しようとしたものの、大雨による泥地で大砲を動かすことができないため地面が乾く昼まで待ってしまい、結果夕方のプロシアの合流が間に合いイギリスが勝利した。

ところが、第二次世界大戦ではドイツや日本がイギリス軍を各地で破る。ドイツのロンメルは戦車部隊による電撃戦でフランスを降伏させ、エジプトでも神出鬼没に敵の裏側へ回り込む戦法でイギリス軍を翻弄した。イギリスの首相チャーチルは、「ロンメル! ロンメル! ロンメル!」と何度も連呼して悔しがりそして感動した。日本も山下奉文(ともゆき)率いる自転車部隊が「マレー電撃戦」と呼ばれる素早さでマレー半島を縦断してシンガポールを陥落させ、イギリスのパーシヴァル将軍に対し「イエスか、ノーか」と有名なセリフで迫り破った。世界史における有色人種台頭の歴史的転換点だった。

これらを見ると、イギリスはよく考えようとするあまり、ドイツや日本の速度に弱かったとまとめられる。そして現代も、EUにおける移民問題から、いったん立ち止まってよく考えようという方向が勝り、EUを離脱したと思われる。

さて、第二次世界大戦後半になるとドイツや日本の速度は補給の失敗から弱まり、圧倒的な工業力を持つアメリカに敗れた。世界は米ソ冷戦時代に入ったが、これは英米系哲学とマルクス・レーニン哲学の対立とも言えた。マルクスの弁証法がヘーゲルの弁証法を参考にしているため、これは英独哲学の対立と言ってもよい。

そして1989年、ベルリンの壁が崩れ、世界史はいちおう英米系哲学が勝ったことになった。

しかしながら、新自由主義に対する反発は多く、本家のアメリカでもTPPから離脱したように英米系哲学一辺倒でも偏りがあることは明らかと言える。

いまだ世界は模索中。応仁の乱や第一次世界大戦のような展望のない泥沼な戦争に陥ることは良くないが、北朝鮮やイスラム国のような前近代的な地域を放置することも良くない。

つまりは哲学と戦争の何たるかを見つめ直すべき時と言いたい。

人類史は回帰している

科学ではいまだに、無生物から生物はつくれていない。

 

最も初期の生命体である原核生物でさえできない。ということは、

 

たとえ他の星に水や酸素や恒星があっても生物がいるとは言えないのではないか?と思う。

 

地球の偶然には、ほぼ同じ大きさに見える太陽と月の距離と大きさの不思議から、温度や濃度や重力、磁力など様々な要件の絶妙なバランスの上に生命体があることから、この世の中心と考えても問題ないと思っている。

 

では何故に生命は地球に生まれたのか?

 

近代哲学を創始したデカルトは精神と物質を分けて考え、物質は計算可能だが精神は不可能で不可解とした。

 

その後、量子力学という分野が生まれると、波と粒子の両方の性質を併せ持つ量子こそが精神の正体であり、死後に遺体から抜けた量子が次の生命体に貼り付くと前世の記憶が残る生まれ変わりという現象になると真面目に語る科学者も出てきた。

 

すると、原子や分子ができるはるか以前から素粒子が先にあると考えて、この波こそが始原にあると思われる。

 

波は現代でも、楽器を通じてその美しさを現実にしたり、文学や詩でも出てくるように、オモテには普段は見えてこない。

 

この波だけが最初にある段階こそが高い精神世界なのだろう。

 

一部の素粒子は組み合わさって原子や分子などの物質になったが、別の一部は精神的な波としてその後も残り、物質との組み合わせによって単細胞生物になったと思う。

 

それを推進した力は何か?

 

始原の高い精神世界への回帰だと考える。すなわち、

 

物質ができたため、今度は物質を巻き込んで元の高次元な世界を実現しようとしたのである!

 

それは気の遠くなるような長い道のりである。

 

人間が生まれもう少しで実現するという段階になっても、人間は争い合って低次元なままでいようとする。そこで、

 

時々哲学者が登場して人類を次の段階にステップアップさせようとした。その詳細は本サイトで描いた通り。これもサルトルでほぼ終わり、哲学者はもう出て来なくなった。

 

現在、トランプやプーチン、習近平、安倍、朴、金正恩、アサドなどがキーマンとなって、この回帰を止めかねないことになっている。