サイバネティックスのダイナミックなアレンジ

音声を再生してスライドをめくる形式の実験です。(1ヶ月限定)

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ガンダムオリジンの映像化を見て

新しい説ができた後、今までは本にしていた。すぐに評価されることもあれば、死後に評価され生前にはまったく評価されないものもあった。安東昌益もそうだし、ディヴィッド・ヒュームもそうらしい。

現代では、私の偏見かもしれないが近代の知的巨人たちの時代が一気に衰退したように思える。ケインズやフロイト、ウィトゲンシュタイン、ソシュールなど、魅力的な名前がキラ星のごとく輝いていたこの時代は、音楽や絵画もそうだが評価が正確で正当だった。

現代は、コンピューターが発達してネットワーク化された割りには、小粒な語り手が多いだけで大粒な存在感に乏しい。「出る杭は打たれる」諺通り、誰もが目立たないように注意しているように見える。

しかし、価値ある有用性や画期的面白さを埋もれさせておくには勿体ない。ではどうすれば良いか?

例えば今から12年以上前、漫画雑誌「ガンダムエース」に毎月「ガンダムオリジン」という作品が掲載されていた。初代ファーストガンダムの作画を担当していた安彦氏がカムバックしてシャアの若い頃の話を描いたのだ。非常に面白かったので毎月買い、引っ越しの時は仲の良い古本屋に「絶対売れるから」と言って置いてもらった。

ところが、数ヶ月後に再び店を訪ねてみると、「あれ全然売れていませんよ」と嫌味を言われる始末。そんなはずはと思ったものの、確かに世間ではあまり話題になっていない。それから12年後の現在、「ガンダムオリジン」の映画は絶好調で人気になっていた。何が違うのか。

最新作「ルウム戦役」を前に過去5作品がavemaTVで放映されたので見つつコメント欄をリアルタイムで読むと、視聴者の多くがストーリーを知らず初めて見る感じだった。シャアがハモンに助けられる話も、タンク同士が戦う話も知らず、コメントは内容を追いつつ盛り上がっていた。

つまり、雑誌や本の段階ではまだ知名度が低かったものの、動画となって宣伝されて初めて、知名度が上がり、見やすくなり、カネが動き、評価が高まったのである。

全ての新しい説は、動画になり得る。それは講師が熱弁を振るっても良いし、映像が美しいアニメになってもよい。もし時間と予算があれば、専門技術者とともにそこへ残る人生を投じてもよい。

メタ法則の存在意義

29年前の5月の今頃も、今日みたいな五月晴れだった。高校を卒業して浪人になり、例えて言えば自由電子としてどの分子にも属さず浮遊していた。

公園に朝からずっといた。芝生から動かなかった。何時間もいるつもりだったが、昼前にあることを閃き、今度は夕方までずっとそれに夢中になった。自分では素晴らしいアイデアだと思われた。何せ全ての法則を1つにまとめられる訳だから。

しかし致命的な欠陥があった。含まれる法則を読者は全て知っている訳ではない。この面白さをまったく理解できないのだ。

結局、日常からできる法則は認められても、法則群の上にあるメタ法則は誰からも認められないまま現在に至っている。

あの時のことは何だったのか。暇な自分に夢中になる時間をあてがわれた玩具に過ぎないと言うのか。

エデンからノアまでの話と人間の状態過程

存在段階から認識段階に至る「記憶過程」はいいとして、認識段階から存在段階に至る方を「装飾過程」と名付けたことについては、以前から疑問の声があった。

大学時代に自著を読んだゼミの教授も「装飾ねえ」と言ってそこで止まった。この反応は特に問題ない。25年経った現在、甥が書いた思想書を私は一顧だにしない。この年代の若造は何かと物事を達観したりまとめたがったり、読ませたがったり、評されたがったりする。

しかし、その言葉を裏付ける実験結果も証拠もなく、あるのはその結論に影響を与えたものは何かという事実のみ。甥にも何を読んでどう感じてそうまとめたのかを問うていきたい。

以上のことから改めて「装飾過程」とネーミングした背景を探っていけば、単に目指す存在に至るからという理由だけでない事実に行き着いた。

恐らくだが、これは旧約聖書の話に影響を受けている。

すなわち、エデンの園に住んでいる当初のアダムとエバは、神にとって何の問題ない住人だったが、食べるなと言われていた園の中央にある木の「知恵の実」をヘビに騙されて食べたとき、「裸であることに気付き」「葉で覆った」 これが「記憶課程(知恵の実)」と「装飾過程(葉をまとった)」なのである。

現代でも、知恵に感動すると自身を恥ずかしく思い、自身が何者でもないことに気付き、何者かになろうとする。

神が2人をエデンから追放した理由として、園の中央には元々2本の木があって、知恵の実を食べた後はもう1本の方の生命の実を食べて不老不死になることを恐れたため、という逸話があるが、私は別の見方を持っている。

もはや動物と同じではいられなくなったということは、衣食住の生活ができる地に行かなければならなくなった。それがどこなのかは、歩いてみて2人が納得する地である。ずっと歩き続けた訳ではなく、どこかで止まり、そこに住みついた。

もし神との別離が決定的なことなら、2人が祭壇をつくって祭り祈ることすらしないはずだが、その後のカインとアベルの話からも分かる通り、知恵の実を食べたからエデンにいられなくなっただけだと思われる。

また、誰もが思う疑問だが、同時代に他に人間がいなければカインは誰と結婚してどう子孫を遺したのかとなるが、恐らく知恵の実すら食べてない原生人類の中から、大脳を使うアダム一家が人類を進化させていったのだ。

記憶課程と装飾過程を進ませつつ、人類は文化や文明を発展させ、やがて方舟をつくるまでに至るノアが出てくる。後になってノアは神の言葉を聞いて船をつくったと言われるが、木を何十本も切って板材に加工するなんて、実際にやるとなると途方もない時間がかかる。

川が時々氾濫することと、たまに大洪水が起こることに備えてだろう。方舟をつくる知識や技術、まさしく記憶課程と装飾過程を進ませて、ノアは長い時間をかけてコツコツとつくっていった。他の人々はその時は木にでも登ればいいさと享楽的に生きていただけだが。

やがて大雨が降り、川がまた氾濫し今度は大洪水となった。ノアは主な家畜を中に入れ、家族とともにこの危機から助かった。

革命に戦争は必要か?

長い歴史の区切り方として、安定期と不安定期とがある。言い換えれば戦争と平和だが、この考え方を嫌う人が多い理由はまさしく、現代の平和がいつかは終わり、再び悲惨な戦争になるからだろう。

その萌芽は確かにあり、イスラム国のようなテロリスト、北朝鮮のように核実験やミサイル発射実験を繰り返す国、アラブとイスラエルなどを見れば、何か起きても不思議ではない。しかし、起きたら最後、キノコ雲とともに大多数の人々がいなくなる。そう考えると、たとえ今の平和に様々な問題があっても、戦争だけはあってはならないと思うのも当然である。

しかし、ダラダラと平和が続くことによっていつまでも問題が解決されなかったり、ゆでガエルの喩えのように無自覚に衰退が進行するのも困りもので、歴史上の英雄の多くは、悪徳支配者を武力とはいえ成敗して次の平和を確立したことが賞賛されている。

以上、考えていくと、別に戦争がなくとも衰退した平和を何らかの方法で次の平和につなげることもあり得るのではと思えてくる。例えばスポーツかというと違う。どの戦争期も技術上の大革新を伴うものだからだ。

むしろ、技術上の大革新の面だけを考えていくと、ウィンドウズ95のことがどうしても出てくる。1995年を境に世界は確かに大きく変わった。

1995年から、ウィンドウズパソコン、インターネット、ユーチューブ、フェイスブック、ツイッター、スマートフォン、と技術上の大革新が行われた。そして世界中が1995年以前とは比較にならないくらい変化した。

北朝鮮のアピール

北朝鮮の行動に対して、今まで明確に説明できた文章を見たことがなかったものの、最近ある記事を目にした。元ヤクザから見れば、北朝鮮は「アメリカに沈黙されることが怖いから」ミサイルを発射しているのだと。果たしてそうだろうか?

本ブログでは同じ状態にある者を比較して考えるが、どうも規模や関係が違うことから今一つピンと来ない。

それでは状態として明確に何だと言えるか? いつも日本は唐突にこのニュースを受けることから、ΩKであることは間違いない。すなわち権利行使だ。

北朝鮮が権利を持っていることを示すためのミサイル。発射しなければ諸外国は注目しない。

循環型社会の特区になり損ねた湾岸

鈴木俊一東京都知事は絶頂期にあった際、東京湾岸に「世界都市博覧会」を開催しようとしたものの、都民の猛反対にあって頓挫した。反対した筆頭は青島幸男元参院議員。芸能人でもあり知名度に勝る彼は選挙活動もろくに行わず都知事に当選し、都市博中止を決定した。

 

1990年代前半、青島都知事は突如「循環型社会」を提言した。その背景に何があったか、もしかしたら、都市博を中止した跡地に何をするべきか悩んでいた青島氏に循環型社会の実験を行う提案があったかもしれない。その後、東京都は循環型社会を推進し、青島氏は知事退任後に「循環」と題する絵を出品した。

 

博覧会のアイデアはその後、堺屋太一氏の目論見で愛知県で行われ、「愛・地球博」が開催された。それは成功と言えるのか? 6ヶ月間のうち5ヶ月は閑古鳥が鳴き、最後の1ヶ月だけ盛り上がったのはそんなものらしいが、堺屋氏の発想自体、「大量生産、大量消費」の遺物であり、大量のゴミが発生し、現代では誰も回顧しない。前時代的(古い)と言える。

 

東京湾岸の方は、賭け事に使用する議員連盟が一時期盛り上がった。その署名者の中には自民党も多いが敵対する野党や小沢一郎の名前もあった。正体はそんなものだ。

 

やがてこの跡地を東京オリンピックに利用する案が持ち上がった。そのためには築地が邪魔になるため、市場を豊洲に移そうとした。それを反対して当選した人が小池都知事である。

 

循環型社会の方はいまや当たり前になったのか顧みられず、実験場としての「特区」のアイデアは竹中平蔵氏が推進して全国に進めてみたものの、これも安倍総理と特定の業者との癒着が指摘され、マイナスイメージがつきまとうようになった。