生命と量子

漫画に使われる記号は、誰も不思議に思わないみたいだが、けっこう普遍的である。

 

怒りを表すにはコメカミや蒸気の記号、好きになればハートの記号、恋に破れれば割れたハート・・・。

 

この記号を見て誰もの頭の中に共通した情念の「波」が生じているのだろう。

 

情念の波は機械の画面上でも、怒り、愛情、悲哀、嫉妬ごとに形が違い、そして多くの人に共通している。とすると・・・、

 

これら各波はいつから在るのだろうか?

 

生物の歴史は、どこまでいっても生物から生物への歴史であって、無生物から生物が生まれる実験結果はない。

 

最初の生命といわれる原核生物の前は何だろう?

 

エネルギーを持つ粒子である量子、ここに注目してみよう。量子のある一部の波と、ある一部の物質との組み合わせこそが生物ではないか。

 

食欲の波、雌雄に分かれると性欲の波、安心感や恐怖感。

 

宇宙ができる時からそれはある。

 

素粒子段階の生命

実験科学では、モノ(=無生物)から生命体をつくることは、まだ出来ていない。

 

物が先か、生物が先か、という題材で、公式には物が先にあって後から生命が出てきたとは言われるものの、上記の話からどちらが先とは実は言えない。

 

むしろ、爪や糞や汗のように、生命体から物が出てきており、神話では神が物を産んだりする話さえある。

 

さて、物を構成する分子、分子を構成する原子、原子を構成する素粒子について、いろいろな係数が決まっている。この係数の数値が少しでも違うと、今ある宇宙はまったく違う宇宙になるらしく、それだけ絶妙なバランスをとっている。

 

この各係数が決まる段階が先にあって、後から物の世界があると思う。そして物の世界に生物がいて、原子生命から高度な生物、ヒトへと進化する。

 

一方、まだ物が現れていない、物の前段階としての素粒子の係数が決められる段階においても、生命があると考えてみよう。

 

それはいわゆる生物、生き物ではない。物が先か生命が先かというと、生命が先であり、その生命は物とともにはない。各係数とともにある。

 

さらにその前段階は混沌としか言えない。そしてこの時代の生命主体こそ「神」なのだろう。物質が出来た後も神はいるはずであり、原核生物や真核生物が出てきても神はいた。

 

ヒトがいる時代はどうか? 後述する。

 

夢がデタラメな理由

私が考える「意識」は、量子でもないし脳の中でも、まして脳の中のマイクロチューブルの中でもない。わかりやすい図で表すと、

home_gaisyutsu_man「相手(対象)がいる」「シチュエーション(場)がある」「表情や手足(身体)、言葉で表す」等と連動している「意識」である。つまり意識は単独で扱えない。

 

科学者は物質と相容れない対立している側として意識を置く。確かにニュートン物理学の数式通りにはいかない。しかし、場の環境や状況、文法、文化の中で意識はかなり限定されている。

 

そして、物質によって意識は変わり得る。例えば睡眠中に見る夢はなぜあんなにデタラメなのか? いろいろな説があるものの、私は脳の中の液体が流れて夢が混沌化すると考える。寝相が変わると当然、脳内の水分もゆっくりと移動する。混ざり合う。

 

目が覚めている時も脳の中の液体は揺れており必ずしも安定しないが、寝ている時ほどデタラメにはならない。それは、上の絵のように、環境や状況、視覚情報、力関係などの中に意識もあるため、混沌化しにくいからだ。寝てしまうと、環境も状況も視覚情報も力関係もなくなる。

 

意識を固定させていたあらゆるものはなくなり、ただ液体が混ざり合うだけ。そんな夢に正夢や悪夢などの意味はあるのか、というと科学的に考えて無いと断言できる。

 

ただこの時に偶然できたクリエイティブな発想を覚えておくと、現実の世界にも新しく創造的な何かをつくることになるかもしれない。

 

 

意識は量子か???

先日、おもしろい記事があった。

「輪廻転生が実在することが量子論で判明! 専門医「死後、あなたの意識は次の人の脳に張り付く」

>意識は肉体の死後も生き残り、次の宿主の意識として活動すると語っている。

「量子論の創始者であるマックス・プランクなど、一流の科学者は物質よりも意識が基本的であると語りました。つまり、意識は脳が生み出したのではないのです。脳や肉体の死後も意識は生き残り続けます」(タッカー博士)
「ですから、意識は前世の記憶を保ったまま、次の人の脳に張り付くのです」(中略)ついに現代科学も狭い殻を抜け出し、広大なオカルトの世界へ足を踏み入れる準備が整ってきたようだ。

 

 

一部賛成しかねるところを幾つか書く。

・死後、遺体から放出される量子としての意識は“一粒”なのか? 一粒なら誰か1人に輪廻転生するかもしれないが、量子は微細なだけにもっと多いのではないか。

・生命体の遺体から意識としての量子が放出されるということだが、人間に限らないのではと思う。つまり、虫や犬が死んでも同じことがあり得るし、植物にだって火を近づけると怖がる意識がある。これらの量子が人間にはりつくこともあるだろう。

 

などといろいろ思ったものの、上記にある通り、物質よりも意識が基本的であるというマックス・プランクと同じ内容は本サイトの本編にもある。詳しくは18章以降の箇所にある。

この世界に物質世界が出来る前段階として、各量子があり、その前段階に、各係数が絶妙なバランスで出来ているはずなのだ。それを推進する主体というものがもしあるなら、それこそ創造神に違いない。

ただ物質世界の大宇宙ができた後段階に生命が誕生した際、この創造神はすでにいなくなっており、代わりの主体として原始生命が現れ、植物、動物、そして人間に至っている。

 

だから人間の脳は宇宙の仕組みを知ることができる。

 

「日暮旅人」が見た感情

「視覚探偵 日暮旅人」第1話を見た。

詳しいドラマの感想は他サイトに譲るとして、ここでは主人公が目にした「植物の感情」について書く。

満月の夜の森林公園で、日暮旅人は「木々たちが今夜は月がきれいだと言ってる」と呟いた。各植物の上にはゆらゆらと棒状の煙のようなものが白く光って揺れていた。

普通の人には見えなくとも、視覚だけが異常に発達したため見えるという。では実際問題、植物に感情はあるのか? 実は聞いたことがある。植物に火を近づけると怖がる波が検知されるのだ。

そして主人公は、人間の頭上にも揺らめく感情の波が見えており、その形が似ていたため親子を会わせている。

このブログの上に載せている図をご覧いただきたい。感情が生じている様子がよく分かるだろう。

整理すると、左端がモノ、次に微生物、そして植物、動物という順番になる。植物は月を愛でたり火を怖がったりの感情は発するものの、だからといって火から逃げることはできない。一方、動物は感情段階の次段階で動くことができる。

では人間は何か? 本編にある通り人間は「考える葦」であり、プログラムを思考で変更できる。上図には載っていない更に後半がある。

最後に、思考は素晴らしいもののプログラムを改変しきれず諸問題に対応できなければどうなるか? 感情は発するもののそこで止まり、枯れていく植物のようなものだろう。

ローマ帝国や世界の王朝も栄光は永遠でなくやがては滅んでいる。プログラム改変に限界が来たのである。ただ植物が種を残すように人類の歴史は別の人物が別の都で別天地をつくって継続していく。

アメリカの強さを哲学で解く

第45代トランプ大統領が誕生した。

本人の資質に問題が大いにありと言われているが、アメリカという国自体にはまだ力がある。国内総生産等の経済力、軍事力、ノーベル賞獲得数、オリンピックのメダル数、映画や歌、興行などハイレベルだ。

これらの要因は何か? 単に移民の国と言うだけではオーストラリアなど他国にも相当する。キリスト教と言うのも同様。では自由の国だからか?

実は見過ごされがちだがアメリカが台頭した19世紀後半から、この国ならではの哲学が大きく影響していた。

それが、チャールズ・サンダーズ・パースが唱えた「プラグマティズム」である。哲学史ではパースの他、ジェームズ、デューイなどの名前が後に連なる。

さて、パースの本を読むと、18世紀イギリスの哲学者で多方面に強い影響を与えたヒュームを想起させるくだりがある。

ヒュームの有名な「観念連合」という哲学の場合、「肖像画を見て本人を思う類似の連合」、「キセルを見て本人を思う近接の連合」、そして「煙を見て火を思う因果の連合」の3つがある。(ここから中世スコラ哲学の教条主義や呪い、精霊の仕業等がただの観念連合に過ぎないと粉砕され、より確かな観念連合のため実験科学の台頭や議会制民主主義、市場競争経済、さらに認識全般を見直すカント哲学へと影響し、20世紀になってもアインシュタインの相対性理論に影響した)

しかし、更にパースの場合、観念連合は全て「判断の連合」だと言うのだ。確かに、肖像画を見て本人と判断し、キセルを見て本人と判断し、煙を見て火だと判断している。連合が頭の中にあるとしても、類似、近接、因果は外部に表出する時の3パターンに過ぎないと。

パースはこのように、人間の中ではなく外の方を重視した。そして、「解釈者、記号、対象」という記号の3項関係をまとめあげ、記号論の創始者にもなった。

記号論で全てを見直していくと、言論の究極にある真実というものもまた見方が変わってくる。真実も記号の1つになるが、真実として価値のあるものとするためには、「道具として有用でなければならない」。

これが、プラグマティズム(道具主義)の骨子である。

アメリカでは哲学をこのように捉えたため、使える真実に敏感になり、使えない真実はヨーロッパのように残したりせず廃棄した。モンロー主義で一時は孤立を選んでも、必要とあれば果敢に戦争に参加し、ゼロ戦が優位と見るや同タイプの戦闘機を増産し、また空母や爆撃機を使用した。原爆すらも道具となった。

アメリカを象徴するコカ・コーラも製法を特許申請せず秘伝とし続けるのも、公開されて世界が真似しないための現実的知恵と言われる。

ただ現状では、パースを創始者とするプラグマティズムは、特に哲学の俎上に上がらなくなった。出てきた当初は道具的真実が新鮮で他哲学と比較して優位と思われていたが、寡黙で変わり者の(ヤンキーっぽくない)パース没後、徐々に忘れ去られてきているのか。

本サイトのツインサイバーシステムでは、同じく「使える知恵」を重視する。ただ使える知恵が使えなくなる時がある点も考慮するし、目的値通りの実現値を得られないあらゆる外乱を解決する知恵を重視する(上図)。

したがって、トランプという人を道具として選んだりせず、思想哲学の変更切替を論じるべきと思う。

人類の精神史に神秘が絡む

 「太ったブタより痩せたソクラテスになれ」で有名な古代ギリシャの哲学者ソクラテス。

 当時、知識を商売にするソフィストたちが横行する中で、彼だけは違った考え方を持っていた。お金を支払って文芸や数学を教えてもらうのではない。若者1人1人に対し彼は質問を何回も投げかけ、その問いに答えていく中で若者は自分の中に隠れていた真理に気が付いていく。

 この方法を哲学史では「産婆術」と呼び重視する。他のソフィストにとっては商売の邪魔になる。最期はとうとう裁判にかけられ毒杯をあおって死ぬことになった。優秀な弟子のプラトンは死なないよう懇願したが、「これも裁判結果」と返された。

 プラトンはその後、「アカデメイア」という学校を創設。後のアカデミーの語源になった。そして、「洞窟の比喩」を用いて、一般人はまるで洞窟の中の囚人のように壁に映った看守の影しか見えてない。真実は背後にいるのに、と言い、真理(イデア)と人間との構図を示した。イデアも後のアイデアの語源となる。

 プラトンの弟子のアリストテレスは、師匠が上ばかり見て足が地から離れていることを批判し、真実は地上にあると下を重視した。動物を分類し、植物を分類し、政治形態を分類し、分類そのものを研究し(範疇論)、「形相と質料」という構図を提示した。

 ギリシャ哲学史はこのアリストテレスでいったん終わり、しばらく大哲学者は出て来ない。長い中世は前半がプラトン寄りのアウグスティヌス(終末論)、後半がアリストテレス寄りのトマス・アクィナス(スコラ哲学)が登場し、煩雑なスコラ哲学の教義への反発から近代が芽生え、17世紀フランスのデカルトが理性を発見して再び哲学史が進み始めた。

 こう見てくると、ソクラテスの登場が非常に重要だと分かる。ただ彼の登場は一種神秘的だった。

 そもそも当時まったく売れてない貧乏な思索家の1人。このままいけばメジャーにならないまま死に、歴史の中に消える存在だった。

 しかし、劇的なことが起こった。ある神殿にて、「この世で一番賢い人は誰?」との質問に、デルフォイの神託は「ソクラテス」と巫女を通じて答えたのだ。みな驚いたが、本人は真摯に受け止めた。

 つまり、神託がなければ、プラトンもアリストテレスも出て来ず、中世の哲学も近代の理性哲学も今とはまったく違ったものになっていたのである。

 これは大変なことで、現代に大哲学者がなく思想的に停止して世界が停滞している中でも、神託のような非合理なことが起きなければ何も変わらないのではないか。もし非合理な何かが起きれば、従来では考えられなかった在野からの大哲学の出現もあり得るのだ。

 似たような例を他に挙げれば、もし織田信長が少年時代に年下の徳川家康と出会って川遊びをしなかったら、後の信長・秀吉・家康の3代による戦国時代の終焉も江戸幕府の創設も明治以降の近代化も今とはまったく違ったものになっていた。駿府に行くはずの人質家康が尾張に奪還された出来事に神秘性が帯びてくる。

 また、モーツァルトからベートーベン、シューベルトの3代というものもある。それぞれ立派な音楽家だが、特にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは若い時から世間には衝撃的な「天才」で、神秘的なほどだった。その最期も神秘のベールに包まれていた。1984年の映画アマデウスも大ヒット。このブームからオーストリアのファルコが一風変わったラップを発表。すると瞬く間に世界中に広がり、全米でも1985年早々に、英語以外の曲としては初の1位を獲得した。