サイバネティックスの問題点

ノーバート・ウィーナーが考案したサイバネティックスという学問分野は、サイボーグの語源になったり、サイバーテロの接頭語になったりと普遍性を勝ち得ているように見える。

 

しかし、サイバネティックスをググッてみると、ウィキペディアにこそ載っているが、最近はどこにも使用されていないことが分かる。何故なのか?

 

一言でいえば「使えない」からだろう。いや、そんなことはないと否定するサイバネティストもいるかもしれない。空調が室温を一定に保ったり、調速機が速度を一定に保ったり、渡り鳥が目的地まで正確に辿り着ける仕組みの解明も、また弓で矢を的の真ん中に射る仕組みの解明もサイバネティックスがあるお陰であると。

 

ではサイバネティックスは万能なのか? 確かに一昔前は景気の波や生物群集の波をも制御し得ると期待された。そうした汎用性を持った学際的な広さを持つと言われていた。

 

現在のサイバネティックスの衰退は、これらがうまくいかなかったことの無力感とも無縁ではないだろう。

 

ではなぜサイバネティックスは失敗したのか?

 

私は考え方の設定が誤っていたからと思っている。

 

分かりやすく言うため弓矢を例にとろう。旧来のサイバネティックスでは矢がはずれた結果を見て射手は「もう少し上か」「若干右か」などと狙う位置を修正するとする。

 

しかし実際の射手は射る方法や力加減、弓が適切かまでを含めて修正するものだ。

 

つまり、渡り鳥がただ角度を修正するのと違い、実際の射手は決して単純ではない。2つに分けると、的を見る主体としての射手は、的と矢の結果を見つつあれこれと思い、矢を射る主体としての射手は、実体の問題として方法そのものや弦の張り具合、自身の力加減を調整する。

 

見る主体のプロセスと動く主体のプロセスとを分けて考えた方が実際的なのである。

 

ただし、両者を全て別々にという訳ではなく、見る主体の射手も方法論を思い考えるようになるし、動く主体の射手も方法的に上手になれば方法に悩むことなく矢を向けて思い通りに射るようになる。

 

これらを丹念に追っていったものこそ本サイト「ツインサイバーシステム」である。そして実際の産業構造も、見る主体向けに雑誌や映像などのサービスを提供する産業と、動く主体向けに道具や弓場などのサービスを提供する産業とに分かれるものと振り返れば、旧来の単純なサイバネティックスよりも実際的なツインサイバーシステムの方が有効だと気付くだろう。

 

まだ気付く人は他にいないが。

 

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「AIの時代」に進むか?

囲碁界では、人工知能と見られる謎の棋士が幾つかネット上に出現し、プロ棋士を次々と撃破している話題で持ち切りだ。

門外漢の間では謎の棋士の正体を一昔前の漫画「ヒカルの碁」を思い出して、伝説の棋士藤原左為の亡霊だという声が大きいが、現実的に考えて過去の棋譜を集計してつくりあげた高性能の人工知能であることに間違いない。

より高次の勝負を求める方向性がこのような現象をつくっているのだろう。ならば、

他の分野にも応用できるのではないだろうか?

例えば過去の政治的判断を集計してベストな政治的回答を下す人工知能。

同じく経済や環境の分野、教育についても。

もちろん人間が自ら考えて判断し動くことは尊い。しかし、現状を見る限り多くの人はあまり考えず前例を踏襲しがちだ。

不登校問題をとってもベテランの教師は仕方ないで済まし、逆に新米教師の方が最善な取り組みを行う例を見たりする。後者の判断はおそらく人工知能が下す回答に近いと思う。

最後に哲学思想の分野についてだが、ツインサイバーシステムの本編も、実は人工知能が哲学者や思想家の説を集計していくことを想定して進めたものである。囲碁と同様に、より高次のものを目指せばそうなる。

その結論は決して甘く低次元なものではなく、美しい規則性と厳しさに満ちている。

新自由主義の思想的欠点

1月20日に就任するトランプ次期大統領と新自由主義との関係が不明瞭と言われている。

新自由主義に否定的な立ち位置に立つ識者の多くは、トランプが庶民の味方になることを願っているが、よく知られている通り彼自身がセレブであり国際金融とも多国籍企業とも決して疎遠ではない。

何より、新自由主義を排して他にどんな主義を採用するというのか? このセリフは竹中平蔵をはじめ多くの新自由主義者が時々偉そうに吐いている。何も無いではないかと。

彼らが妙に?自信を持つ理由は、18世紀イギリスの哲学者ヒュームの「観念連合哲学」まで遡る。当時ヒュームは「原因と結果との連合は絶対ではない」と看破した。そこから多くの伝統が崩れた。迷信や伝統や宗教や非科学の一切は排され、実験科学で因果を確固とすることが重んじられ、議会政治での議論や市場経済の競争によって観念連合が練られることが進められた。

それは良いことだが、新自由主義者は更に、国家の介入そのものが何でも市場競争を妨害すると考え、国境なき世界(New World Order)なるものを夢想した。経済学者の中に時折り似合わない長髪の人がいるのはその象徴である。

しかし、国家がなくても良いと言えるほど万能で若い人なんているのか??  多くの人は当たり前なことだが生活に必要とする。

したがって新自由主義は暴論と言える。

多国籍企業や国際金融が海を越えて拡大するにあたり各国固有の文化や制度が邪魔だから新自由主義という思想めいたものを謳ったという面が真相であり、その具体例がTPPだったりするなのだが、多くの人が指摘する通り、各国固有の文化や制度や伝統も防犯や防災や衣食住全般にわたる必要性や歴史があって存在している。

そもそもヒューム自体、

中世が大多数の人間に合わない社会だったからこそ、人間に合う社会を構想して哲学者となった訳で、大多数の人間に合わない社会を敷く新自由主義者はヒューム的とは絶対に言えない。

ツインサイバーシステムは、本論を読めば分かる通りヒュームが非常に重要なところにあり、その上で衣食住全般に渡る人間に合う社会を構想している。アンチ新自由主義の急先鋒である。

キーワードは“双制御”

明けましておめでとうございます。

1回目の投稿は2017年1月1日。

最近の傾向として「やっぱりこうなった」「やっぱりあーなった」という例をよく見掛けますが、それをただ傍観しているだけでは「やっぱり」な事例が増えるだけです。

起こり得る「やっぱり」に対して前もって手を打つ。それも誰かやどこかと連携して手を打てばより効果的でしょう。そのキーワードこそ表題の通り「双制御」であり、バックボーンとなる考え方が、

ツインサイバーシステムです。